ウチは小4くらいの頃から家での勉強にノルマがあった。毎日ウチの父親に学習ノートとやった参考書などを見せて、ノルマ達成と認められれば寝る許可が出るという流れだった。ノルマ量は小4だと30分~1時間くらいで、学年が上がるごとにノルマが増えていって、高3の頃には確か4時間分くらいだったと思う。4時間分のノルマを達成するには最低でも5時間、まぁ6時間弱くらいは必要なので、20時から始めて1時過ぎになんとか寝られるかどうかという感じだった。ウチで最大の罪は勉強時間中に居眠りをすることで、万が一にも居眠りが見つかったら、怒鳴られるか殴られるか物を壊されるかのどれかがその日の父親の機嫌によって決まり、さらにペナルティとして1時間ほどのノルマが追加された。怒鳴られるのはまだ全然マシというかむしろ運が良い方で、教科書を破られたり授業で作った本棚や地球儀を壊されたのがかなり辛かった。教科書を破られると次の年までセロテープでパリパリの教科書を使って恥ずかしかった。学校では「ドアに挟まって破れた」と言い訳したがそんな破れ方するわけないし何回ドアに挟むのかという話でもあり、学校の先生は何となく思うことがあったかもしれないが、なにしろうちの父親も教員なので口出ししにくかったのだろう。隣の友達が教科書を忘れて見せる時が本当に地獄だった。だから怒鳴られている最中は破られないように必ず教科書を手元で守るというテクニックが必須だった。とは言っても寝るのが毎日1時2時なのでとにかく眠くてしょうがない。俺は高校卒業までとにかく毎日「今日は無事に寝られるだろうか」が最大の関心ごとだった。全く大げさではなく、朝起きた時点で今日寝られるかどうかがすでに気になっていた。今振り返って思うと毎日の思考能力の4割くらいをとにかくこれに奪われていて、とても天井の低い部屋で過ごしているような気分だった。先に書いた通りとにかく今日どうやって寝るかばかり考えていたので、来週のテストとか半年後の入試とか3年後の人生とかそんなものを考える余裕など全く無かった。父親は毎日酒を飲んで3日に1日は居間で寝潰れるので、その場合は「今日はこれをやったけん、もう寝るけん」と言ってテーブルに学習ノートと参考書を置いて寝たが、父親は夜中の3時ごろに起きてノートをチェックして、半々くらいの確率で勉強が足りんと言って起こしに来た。俺はこの一度寝たのをすぐ起こされるというのがものすごく嫌で、寝てから「起こされませんように」と布団の中でギューッと歯を食いしばって丸くなって寝るようになった。いまだに寝てる間に歯を食いしばる癖が残ってる。起こされて「えーっ」などひと言でも反抗しようものならとんでもない事になるし、何より父親は俺がガッカリするのが大好物だったので、悲しい顔をして喜ばせるのがイヤで、起こされた時は素直に従うのがささやかな抵抗だった。毎日勉強が始まる20時がとにかく来ないでほしかった。ストレスが強烈すぎて20時になると毎日必ず腹が痛くなったが、当時はストレスという考えが浸透していなかったので、毎日この時間になったら腹が痛くなるのはおかしい、噓をついている、勉強から逃げようとしていると判断されるようになってしまい、腹が痛くて頭がガンガンする中で勉強していた。言うまでもなく父親に対してのヘイトはとんでもなく大きく膨らんでいたが、ごく稀に機嫌の良い時にちょっと優しく接してもらえる事があったりすると、俺はつい「悪い人ではない、家族なんだから仲良くしよう」とヘイトをリセットしてしまった。しかしまた辛く当たられる日が続くと「なぜ俺は性懲りもなく何度もこの気持ちをほどいてしまうのか」と後悔する流れが何度も繰り返された。暗記物はノートのページが稼げないので、計算問題とかそいういうページ数がたくさん稼げることばかりやっていた。というわけで机についている時間は長かったが勉強にはなっておらず、寝るためには何をしたら良いかをハックするだけの毎日だった。それに加えて頭の出来がイマイチなのでテストの点がとにかく悪く、テストの度にできなかった理由を毎回考えるのがしんどかった。まぁ毎日というとちょっと大げさだけど、1年のうち合唱祭や卒業式などピアノ伴奏の練習がある時期と大みそかを除いた実際330日くらいはこんな感じで毎日泣きながら勉強をしていて、それは俺が高校を卒業するまで続いた。大学入試は案の定ダメだったので大学に籍はあったけど全然学校には行かなかった。毎日8:50ギリギリまで行こう行こうと思って荷物も用意して今日は行くぞ今日は行くぞ教室は何号館の何番教室だな授業はドイツ語だなよし行くぞと何度も思ったけどどうしても行けなかった。理由はさっぱり分からない。行きたくない大学だったからというのはあるとしても、あそこまで強烈に抵抗があったのはよくわからない。知らない人たちの中に入っていくのは今は全然大丈夫だけど当時はそれが嫌だったのかもしれないがそれだけとも思えない。とにかく学校に行きたくない理由が自分で全然分からないので、なぜ行かないのかと聞かれても分からないとしか言いようがなかった。学校以外の、ゲーセンとかバイトとかに行くのは全く問題なかったので、甘えてるとか言われたらまぁそうなんだろうなとは思う。学校に行け(か)ないのは自分でもとてもしんどかった。それが5年くらい続いた。埒が明かないので大分に戻って専門学校に行くことにした。実際はかなり頭の良い人がたくさんいたが、当時は専門学校とは大学に行けない人が行くという認識だった。コンピュータの事は何も知らなかった事もあって、大学に行けなかった人たちの中でもひたすら勉強が分からなくて、俺はここでも落ちこぼれだなと思った。10月に国家試験があって、専門学校ではみんなそれに向かって勉強をしていた。当時「情報処理技術者試験2種」に受からないとシステム会社の面接には応募できないという状況だったので、学校側もとにかくこれに受からせるカリキュラムを組んでいたが、俺はさっぱり付いて行けなかった。俺は10月の試験直前に「何が分からないかは自分で分かってる」などと言い訳をして簿記の授業をサボって県図書の自習室に行ったところ、ここで大きな事件があった。自習室に入ったら、スーツを着たサラリーマンが勉強をしていた。それだけの事なんだけど、当時の俺は「サラリーマンは仕事してればお金がもらえるのに、自分の時間を使ってまで勉強するような人がいるのか」と衝撃を受けた。今考えるとそんなの普通やろと思うけど、ずっと「勉強は罰」みたいな価値観だったので自分から勉強する人を見て本当に驚いた。アレは間違いなく人生で一番の衝撃だったと今でも言える。と同時に「勉強だけしていれば良い時間ってもう今後は無いんだよな」とこれも当たり前の事を思い、心を入れ替えて、生まれて初めて勉強する気持ちになった。俺はあの瞬間から人生が大きく変わり、自分から進んで勉強をするようになった。しかし心を入れ替えたと言っても10月の国家試験ですぐ点が取れるようになるわけではない。試験は案の定ダメだった。10月の秋季試験がダメだった組は4月に春季試験というリベンジの機会がある。コレに受かればギリギリで就活に間に合うので、本当にラストチャンスだった。2種はコンピュータの基礎知識が無い人間にはなかなか難しく、システム周りだけで手いっぱいだった俺は簿記を捨てた。そこから半年は勉強した。毎日がとても充実していたと思う。テストの点はなかなか伸びなかったけど、俺は気が長いのでこの勉強を続ければ結果が付いてくると信じてやっていた。もし気が短かったら勉強なんてせずに一発大逆転の何か悪いことをたくらんだ可能性はとても高いだろうなと思う。模試の点はいつもギリギリラインで受かるかどうかは五分五分って感じだった。試験の当日、いつもせいぜい3問くらいしかない簿記が4問も出て絶望した。しかし考えても分からないので問題も読まず4問とも「ウ」にマークした。試験が終わってから早速自己採点をした。俺はそれまでの人生で、試験が終わってすぐに自分から自己採点をしたことなど無かった。自己採点をしたところで試験の結果が変わるわけではないと思っていた。いつも試験に対しての関与度はその程度だったがこの時は初めて自分から進んで自己採点をした。2種はボーダーラインが65点くらいにある。「くらい」というのは毎年合格者の人数調整がされて、その年の難易度によって若干合格ラインが上下するから自己採点だけでは判断がハッキリとはつかない。俺の自己採点はよりによって65点で結果が出るまで生きた心地がしなかった。結果が出る日、俺は教室で友達と「次は視聴覚室だっけ?」みたいな話をしてたら先生が来て「お前受かってたぞ」と教えてくれた。俺は試験に受かるというのが初めてだった(行ってた大学の入試は受かりたくない試験だった)ので、喜び方がよくわからなかった。高校の頃の試験とか模試とか大学入試とかは、点が悪いと「お前は要らない」と言われてるような気持になった。試験以外にもそれまでの人生でお前は要らないとあまりにもたくさんの人に言われてきた。初めて試験に受かって「俺はこの情報処理という世界には居ていいのだな」とそれがうれしかった。次の日曜に家に帰ってウチのおばあちゃんに合格の報告をした。まだ合格証書は届いてなかったが、当時は大分合同新聞に国家試験の合格者の名前が載っていて、それを見せながら「受かったよ」と伝えた。おばあちゃんは「あなたは5年間を大阪で無駄にしたけど、それを一生懸命取り返そうと頑張ったね」と言ってくれて、それは俺の人生の中で一番うれしい言葉として気持ちの宝箱に大切に入れている。実は4問とも「ウ」にした簿記の問題のうち、なんと3問が「ウ」が正解だった。だから実力とはちょっと違うんだけど、その分はこれから頑張って取り返すから大目に見てくれよと思った。俺は人生でテストの点が取れずにずっと居場所が無かった。勉強にいろんなものが左右されてしまったと思う。でも自分から勉強をやってみようと思っただけで世の中の見え方がまったく変わった。他の人からは勉強というものがこのように見えているのかと驚いた。俺が今も県図書に行って勉強するのは、あの頃の気持ちを思い出しながら勉強したいから。あの頃と変わらない自習室の匂いは専門学校での毎日、あまり歳の変わらない先生や何歳も年下で俺よりはるかに点を取るクラスの友達に囲まれて、人より何周遅れか分からないけどここで踏ん張れば少しは取り戻せるのかもしれないと過ごした日の事を思い出す。俺はずっと自分が勉強が好きなのか嫌いなのか分からないでいたが、試験勉強を通じて、まぁ好きとまでは言わずとも、少なくとも嫌いでは全然ないなということが分かって、それがとてもうれしかった。勉強をしようと思えばする人だし、全然嫌いじゃない、そういう人なんだと分かった。なにしろ小4の頃からずっと勉強に苦しめられてきたので自分で自分の事が分からずにいた。とても長い時間がかかったけどひとつ自分の事が分かった。